軌跡

~Legends History~

【伝説はここから始まった】

今から約20年ほど前の話となる。主人公はもちろんベンチプレス界のレジェンド、そしてK’s GYMオーナーの児玉大紀。とある大阪の小さなスイミングスクールで始まった軌跡を紹介する。このスイミングスクールではウエイトルームが併設されており、公式台とは程遠い代物であったがベンチ台も設置されていた。当時、このスイミングスクールの社員であった児玉、ウエイトルームでバイトをしていた東坂(元59kg級オープン世界チャンピオン、児玉の幼馴染)、新人バイトとして採用となった佐藤(元105kg級オープン世界大会2位,K’s横浜リーダー)、会員としては伊藤智(元100kg級オープンアジアチャンピオン,元マスターズ世界チャンピオン)、白石匡(元日本チャンピオン)など、今も現役で活躍しているメンバーも存在していた。

そんな児玉は、当時、初めての全日本選手権で2位、次戦の世界選手権で初出場初優勝を獲得。翌年、児玉の周囲には影響を受けたたくさんのベンチプレスに取りつかれたメンバーが増加し、K’s GYMが誕生する。当時のスイミングスクールのウエイトルームを使用する会員はほとんどがK’s GYMに移籍した。当時のK’s GYMは現在の場所の一つ横にあり、面積も半分くらいのところであったが、パワーラインのベンチ台と公式寸法のベンチ台、ニッピョウや鍛錬のプレートがあり、本格的なベンチプレスジムが誕生し、そこで濃厚な時間を当時のメンバーと過ごした。

数年が経過し、K’s GYMのメンバーを着々と増え、現在の場所に移転をした。メンバーも段々と強くなり、全日本選手権にも多数の選手が出場。各階級で優勝候補も何人も存在し、メダルを何個も獲得した。しかし、数年間、当時のノーリミッツの前に団体戦は準優勝が続く。児玉自身はジム発足後、世界選手権や日本選手権で連覇していたが、怪我により3年間、思うようにいかない時期も。そんな暗黒時代もあったが、当時のK’s GYMメンバーの支えもあって、見事に復活。そこから、自身の世界選手権、日本選手権の連覇はもちろん、K’s GYMもますます強くなり、全日本選手権では各階級でK’s GYMメンバーが何人も優勝。団体戦も他のチームを寄せ付けない強さで約10年ほど、不動の王者として君臨した。

そんな黄金期の最中、転勤で大阪を離れた佐藤優輝のためにK’s GYM横浜をオープン。児玉大紀の一番弟子として、チームの牽引を任せた。そんなK’s GYM横浜も時間の経過とともに、めきめき成長。現在は当時のK’s GYMの黄金期のメンバーは一線を離れ、2回目の黄金期を迎えるための準備をしているK’s GYMに代わり、K’s GYM横浜が黄金期を迎え、全日本選手権団体戦3連覇中である。そんな児玉流ベンチプレスの楽しさを拡大させるため、2022年、K’s GYM千葉が発足。昔とは違い、時代も進化し、オンライン指導も駆使しながら、より実践的な指導とチームワークを大切に「楽しく強くなる」をモットーに活動を展開している。K’s GYMの最大のセールスポイントは、『人』を育てること。ベンチプレスを通して、幾多の人間関係の構築、あらゆる分野の人たちとの交流、そしてお互いの受容。個性が強く、傍からは問題児と言われるような人、他のジムでは馴染むことができなかった人、先天性や後天性の病気を持っていたり、発達障害であっても、K’s GYMならやっていける人が多く存在します。そんな個性豊かなメンバーらの強みは、『結束力』。これらのメンバーの歯車が嚙み合った時、とてつもない結束力を生み出します。この結束力は自由を醸し出し、他のどのチームにも負けない、最大の武器となっています。この武器が強みのK’s GYMは、まだまだベンチプレスが大好きな人たちとの和を増やしていきたいと考えています。今後もK’s GYMの活躍に期待していてください。